その他の解釈
@ 磁鉄鉱礫の餅鉄を原料鉄鉱石に在来製鉄法で製造した鉄。
「磁鉄鉱礫の餅鉄を原料鉄鉱石に在来製鉄法で製造した餅鉄は、磁鉄鉱礫の餅鉄を産出する栗林村の特産品とも見られる。江戸時代も末の南部領大槌通栗林村(釜石市栗林町)には十軒の鍛冶屋が居住し、銑鉄を原料に延鉄を素材に針金を製造していた、針金の特産地であった。延鉄の製造方法は大鍛冶の方法と見て大過ないから、同じ火床で磁鉄鉱礫の餅鉄を還元し、鋼を製造したように思われる(直接製鋼法)。この鋼も餅鉄であるが、鍛冶屋の火床程度の規模で製造し、しかも名人芸的な操作が要求される方法であろうから、需要に応じながらも恐らく少量生産の域に止まっていたのであろう。」(「北上山地の製鉄」 岡田廣吉)
A 洋式高炉操業時に生成された炉床の固まり。
「大橋仮高炉の新技術を直ちに受容するに及んで安政六年夏頃には炉床の固まりが発生し、これを破砕して鋼を生産したように思われる。餅鉄在銘刀の年紀が安政六年八月を上限におき、地名が橋野山の背景である。南部藩はこの鋼に栗林村の呼称を借用して「餅鉄」という商品名を付け、特産品として宣伝と販売に活用したのであろう。」(「北上山地の製鉄」 岡田廣吉)
※@とAの【餅鉄】を使用して作られた日本刀には餅鉄の銘が刻まれている。
銘 應需盛岡住山内国多以巌鉄造之
万延元年二月日
※大橋高炉の出資者の貫洞長章(瀬左衛門)が高炉銑で盛岡の山内国多に作らせた刀。巌鉄とは餅鉄のこと |
B 露天掘り跡から採取した磁鉄鉱
「これは安政四年(1857)に大島高任が現在の釜石市甲子町大橋に洋式高炉を建設し、鉄鉱石による製錬を行なった際に採掘した露天掘り跡から採取したもので、いろいろな文献にでてくる「岩鉄」である。」(「岩手の製鉄歴史」 新沼鐵夫)
C 鉱脈の鉱床から採取した磁鉄鉱
「これは現在日鉄鉱業(株)釜石鉱業所で、鉱脈の鉱床から採掘しているものを提供された。」(「岩手の製鉄歴史」 新沼鐵夫)
D 山の斜面や耕地から採取した磁鉄鉱
「川の渓流から採取したものと全く同一のものが採取され、C、D両者共に塊状、粒状、粉状のものが分布している。」(「岩手の製鉄歴史」 新沼鐵夫)
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